『電脳コイル』①

電脳コイル』をまとめて観たので、それについての覚書をいくつか書いておこうと思います。

電脳コイル 第1巻 通常版 [DVD]

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電脳コイル』の世界が今後の新しい技術開発への発奮材料になっているという話を『智場#112』*1のIECPレポート2と3において見かけ、そこから紐付けられて『電脳コイル』を観たわけです。
ちなみに『電脳コイル』というアニメーションは2007年NHK教育テレビで放送されていたアニメーションです。



そこに描かれている世界は、電脳メガネというUI(User Interface)が当たり前に出回り、電脳メガネを掛けた子どもたちが電脳世界と現実世界の多重世界を自明なものとして生きているような世界です。

また予め、ここで言う電脳世界とは、いわゆるセカンドライフなどが示した仮想現実であるVR(Virtual Reality)を言うのではなく、添加現実<AR(Augumented Reality)>や<MR(Mixed Reality)>というような、電脳的存在を現実空間にあたかも(添加)現実化したものである、ということは提示しておくべきなのだと思います。



電脳コイル』の世界そのものの説明はここでは割愛し、作品を見て頂くことを推奨しながら、あくまで『電脳コイル』の世界において提示されている事実から考えられることを備忘録的に。




まず第一。
電脳メガネを掛けている子どもたちは、同一の電脳空間を認識している。
それゆえ、『電脳コイル』における電脳空間はその管理会社であるメガマスが一元管理している電脳空間である。
少なくとも電脳空間はウェブ上で一元管理された空間である。
(その実古い電脳空間として一元管理から漏れた電脳空間も存在しているけれど)。



次に第二。
電脳コイル』の世界の仮想的現実は現実世界の空間と対応するように構成されている。
というのも、子どもたちが電脳メガネで見ている仮想世界は現実空間と重なりあう形で構成されているからである。

つまり、電脳空間そのものの設計が現実空間の忠実な模写として作られている必要性がある。
おそらくそのように写実的に電脳空間を構築するにあたっては、それらを完全に一からプログラミングするということは考えづらい。となると、ユビキタス構想のように現実空間にRFIDタグが埋め込まれた状況から、それに対応するよう電脳空間が構築されたもとして想定されるのではないか、と考えられる。
そして、現実空間への忠実な対応という形で、電脳空間は更新される必要があり、そのためにサッチーあたりが頑張ってる。
でも更新されきってはいない残余として古い空間が存在し、古い空間にはメガマス以前の電脳ビジネス参与会社であるコイルズ社の空間があり、そのあたりとイリーガルが関係してくる。

まぁもしくは単純にGoogle MapとかGoogle street的なものをAR化したら良いという話なのかもしれない。

少なくとも、現実の肉体と電脳の肉体にズレが生じるという描写が存在している故、電脳空間が電脳的存在のみを投射し、他の存在をすべて現実空間に依拠しているとは考えづらいだろう。



第三。
イマーゴと呼ばれる現象。
少なくともイマーゴを使える子どもは、電脳世界と直結した意識構造を持っていると言える。
ある種『攻殻機動隊』における電脳化された人たちのように。
量子脳的仮説*2によって脳の意識が解明されるのであれば、そういったイマーゴ的なものも、その実技術的に可能性はゼロではないだろう。
注意すべきは、量子的ファンクションが完全解明されたとして、量子的ファンクションで人間の意識が全て理解できるかどうかはわからないという事実だろうが。
というか、すでにいくつか脳波によって直接コントロールするゲームはあるわけで、そんな大それたものでなくとも可能なのかもしれないが。


第四。
電脳メガネをかけている人とそうでない人では、世界認識そのものが一致しない世界が開かれているということ。
具体的には、電脳ペットであるデンスケは、電脳メガネをかけている子どもたちには見えているけど、メガネをかけていない大人とかには見えない。
しかしながら、自動車のナビゲーションや様々なインフラ的機械などのは電脳的に、情報空間の制御に依拠する部分が増えているため、
たとえば作中ではカンナという少女の事故死の原因が、事故車のカーナビの電脳上・情報アーキテクチャ上にあるのか、カンナという少女自身にあるのかということが非常に難しくなっている。
そのことについては『智場#112』のレポートにおいても考察されている。
そういった、人類史上初、各人の認識と実際の存在が一致しないという世界になった時、そこにおいて生まれるであろう問題は非常に難しい問題だと思う。一部の法律家などは、そういった世界における立法の可能性などを既に議論しているようだが、まだあまり現実的な課題として人々には受け入れられないだろう。
なんにせよ、アーキテクチャを語るにあたって、アーキテクチャそのものがもはや既存のウェブやVRとしてのみ語られなくなった時、人類史上のあらゆる観念を転換するような発想を持ったアーキテクチャの設計を考えないといけないというのは、大袈裟にも見えるが言い過ぎではないように思う。
実際問題、法や文字によって補綴される秩序も、ある種添加現実的なものだったと言えるけれど、少なくとも今言われるAR技術の実現によって、既存の価値観のみに依拠する形では世界に対応できなくなることは間違いない。



疑問点。
メガマスという企業と、郵政局や文部局などの関係性がなかなかわからない。
サッチーは郵政局として電脳空間を取り締まっているけれど、それはメガマスという企業とどういった関係を取り持ったものか。
まぁ、アニメやので、細かいことは考えるのは不必要だろうが。



アニメのシナリオとして重要な「電脳コイル」と呼ばれる現象そのものや、イリーガルそのものをどういった性質として措定するかはそれほど重要ではないと思われるので、割愛しようと思います。
それはそれで、作品批評みたいな意味で面白いとは思いますが、今回はとりあえずふと思いつくいくつかの具体的、技術的要点のみ備忘録的に記述するのを目的とした感じで。

*1:

智場#112 コンテンツの未来・・・競争力、制度、文化

智場#112 コンテンツの未来・・・競争力、制度、文化

*2:量子や脳に関しては、R.ペンローズの提唱、また、最近では大航海69号に詳しいだろう。

大航海 2009年 01月号 [雑誌]

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